与えるもの/受けとるもの
彼女の放ったコトバが、何かの破片のように俺の胸に刺さる。
少なくとも、刺さったと俺は感じている。
刺さったのはコトバ?
それとも他の何か?
本当に刺さってるのか?
単純に言うと、俺は嫌な思いをした。
多分、おかしな表情になっていたはず。
なんでそんな酷い言い方するんだろう。
その時俺はそう思っていた。
でも、言い返したりはしなかった。
言い返したりしたって、ロクな結果にならないだろう。
せいぜい自分を正当化するためにお互いを非難し合うのがおちだ。
そんなの、もっと嫌な気分になっちまう。
数分経つと、少し落ち着いてきた。
時間って意味があるな。
落ち着いて考えると、酷い言い方をしたと俺が思っているその人に、俺はたくさん嫌なことをしてきたことに気付く。
それが還ってきただけなのかな、って思ってみた。
与えたものしか手に入らない、って誰かが言ってた。
そうなのかもしれない。
だとしたら俺は阿呆。
自分で自分を苦しめてる。
そもそも、傷付いたり、嫌な思いをすることも、俺が自分自身にそれらを許した結果に過ぎない。
これは俺の世界。
すべては俺が許した幻だ。
簡単に小さな悪意や失望を生み出しているんだ。
ただ、俺はその幻を愛しちまってる。
だからもう少し優しくいようか。
幻の彼女にも。
世界をもう少しマトモな場所にするためにも。
無言のままの俺は、そんなことを考えていた。
時間と空間があるという、この世界で。
もしも何もかもがうまくいかなくなったとしたら、独りに戻るだけだと自分に言い聞かせながら。
俺にはまだ、見つめるだけの関係性があるんだな。
もう少し、あがいてみようか。
何のためかはよく解らなくても。
生まれて、生きているから。
次は何を受けとるだろう?
何を与えられるだろう?
COOKIE
"COOKIE"と言えば、尾崎の『誕生』というアルバムに収録されている曲でもあるね。
尾崎を好きになったのが、東京ドームでのライブ以降の活動休止中だったもんで、当時の俺はリアルタイム尾崎に興奮しながら『誕生』を聴いたもんですよ。
でも、そっちのクッキーじゃなくて。
職場のバイトのリトルガールがクッキーを焼いたらしく、プレゼントしてくれた。
美味しかったよ。ありがとう。
結構バイトの方が多い職場なんだけど、学生や主婦やフリーターの方や、いろんな人等と出逢えるのは嬉しいことだよね。
んで、クッキーはシールで留めた紙袋に入れてあって。
猫の柄の紙袋とシール。
ガールズがそういったかわいいものを自分で選んで、簡単な贈り物をするのって良いなあと単純に思ったんですね、俺は。
贈る方も、いただく方も嬉しいっていうか。
あ、なんか女の子って楽しそう、と思った。
きっと女の子でめんどくさいこともたくさんあるんだろうけど。
そんな風に感じながら、カフェオレでクッキーをパクつきました、というだけのconfessionの巻。
仕事
仕事って大変だ。
仕事は大変じゃなきゃいけない、って盲目的な思考に洗脳されているかのようだ。
今日もハアハア言いながら働いてた。
「顔が疲れきってますよ」って言われるくらい。
嫌な思いをすることもあるし。
出来れば家にいて、好きな音楽でも聴いてたいなーとも思うけど。
少し落ち着いて考えれば、やっぱり働けるってありがたい。
良い出逢いもたくさんあるし。
嫌な事からも学ばせてもらえる。
仕事を通して初めて気付く、誰かの魅力もあったりする。その逆もだけど。
仕事を含めた世界をどんな風に見るかによって、気持ちって随分変わるよね。
始まりがあるから終わりがある。
今の毎日がずっと続く訳じゃない。
それでいいんだね。
終わりがあるからこそ、毎日を大切にしたいな。
滅茶苦茶当たり前なことか。
でも、それを忘れがちな俺達だよね。
また明日、頑張って働こうか。
みんなのために。自分のために。
JOY
昨夜俺は「喜びを選択しろ」みたいなことを書いた。
まるで俺が発言したみたいで偉そうだが、本で読んだだけのことです。
今日のほほんと労働しながら思ったんだけど、子ども達ってすごいね。
特に小さな子ども達に多いと思うけど、彼らは「喜びを選択」しているよね。
え、今更かって?
そう、今更気付きました。
小さい頃に持ってたはずの喜びを選択する力、なんで俺は失くしちゃったんだろう。
俺の胸の中の子どもはずっと歯痒かっただろうね。
ソンナニ心配シナイデ、笑オウヨ。
そんな風に伝えてくれていたのかも。
ごめんね。ありがとう。
でもまだ遅すぎる訳じゃないよね。
失くした訳でもないはず。
きっと何も失くしてなんかいないよね。
なんだかそう思えた今夜。
もう眠ろうか。
深く深く。
明日の朝、再び喜びを選ぶために。
本には書いてある
スピリチュアルな感じの本とかが好きです。
そんな感じのウン十七歳。
スピリチュアル本を読んでる俺を見ると、妻はイライラするらしい。
そんな感じのウン十七歳。
多分それは、読むだけで満足してしまって、実生活は何も変わらない俺にイライラしてるのかな、と推測したり。
まあ、妻ってのはだいたい夫にイライラするもんですよね(暴言)。
今日は子どもを迎えに行き、帰り待ちの車中でパラパラとスピリチュアル本を読んでいた。
「宇宙はあなたの味方」と書いてあった。
多分そうなんだろう。
「喜びを感じることだけをやれ」と書いてあった。
多分そうなんだろう。
いろんな本に同じように書いてあるしね。
それでも、「現実」が思ったように上手くいかない のは何でなんだろう。
これもよく書いてあるように、この世界が俺の意識の反映であるなら、原因は俺にあるのかな。
好きなFMを聴くために周波数を合わせる。
そんな感じで、自分の意識のチャンネルを愛や優しさに合わせたいな、
そうすればきっと上手くいくような気がする。
それが難しいと感じることも多いけれど、習慣付けてしまえば意外に簡単なのかもしれない。
自分を守るための術が、実は自分を縛っていたりもするけれど。
こころの流れを感じて、それに乗っていきたいな。
この幻みたいな世界で、たくさんの愛しさに出逢っていきたいよ。
やっぱり、本には良いことも書いてあるよね。
当たり前か。
New World
今夜はBUCK-TICKの"New World"を聴いた。
仕事に疲れてきた夕方くらいに勝手に脳内再生されたのが、「夜空にきらめく星屑綺麗ね」って部分。
なんで、仕事を終え、家に帰り、水筒を洗いながらスマホで聴いてみた。
お風呂に入り、夕飯を食べて、またスマホで聴いてみた。
YouTubeですが。
良い曲だなー。なんか気持ちいい。
最近の曲かと思ったら、もう2、3年前のなんですね。
その程度の、ファンとも言えないレベルですが、BUCK-TICKは好きです。
最初に"JUST ONE MORE KISS"で知った時はなんも興味無かったけど。
なんかスカスカしてんなーくらいに思ったような気がする(さーせん)。
次に、中学生か高校生の頃に、"DARKER THAN DARKNESS"の新聞広告を見て、なんかかっけータイトルだなーと思ったのを覚えている。
その後、高校か大学の時に友人のナカヤマがカラオケで歌う"die"を聴き、スゲーいい曲だなあと思ったりしていた。
んでもって、俺が若かりし頃にグランジか流行っていて、Pearl Jam格好いいなーなんて俺も思ってるある日、「これが俺達のグランジへの回答だ」みたいなことをギタリストの方が言ってたのが"唄"でしたね。
あのアルバムは持っていて、好きだったな。
今でもたまに聴きます。
詳しいサウンドのこととかはわからんが、櫻井さんの詞が良いね。
わかりやすく宗教チックで。
でもなんか宮沢賢治みたいで。
俺好みです。
「悲しいことは何もない」とかね。
「何故生まれた」とかね。
もう20年も前のアルバムのことを言ってもしゃーないのかもだけど。
でも、今でもBUCK-TICKは格好良いね。
ずっとキャリアを積んできたからこそ、ますます良い。
俺にはそう思える。
そんな今夜、俺は聴きたくなり、そして聴いた、というだけの話。
"New World"を聴いた夜のこと。
寝る前にも1回聴こうかな。
愛がすべて
愛がすべてなら、この世界は愛で出来ていることになるのか。
美しいものは、この世界にたくさん溢れている。
醜いものも、この世界にたくさん溢れている。
それらのすべてが愛なのか。
きれいな水とか輝く瞳とか。
憎しみとか妬みとか。
全部が愛の発露なのか。
悪魔は堕ちた天使だからなのか。
俺の欲望や嫉妬も、歪んだ愛の一形態なのか。
だとしたら、何故歪んでしまったの。
俺は何も知らない。
或いは、ほんの一部分しか見ていない。
それでも想像してみよう。
物事には理由があるはずだから。
それはきっと自分がいるから。
他者ではない自分を見つけてしまったから。
自分を守る術なんだ。
愛の形を変えてしまうのは。
愛に制限が無いからこそ、俺達は愛を勝手に解釈してしまうのかな。
解らないな。
だから、生きて、学んでいこうか。
愛の中で、愛を学ぶ。
先ずはそれに気付けばいい。